2005-03-29 第162回国会 参議院 文教科学委員会 第5号
しかし、それ以外の島民の方々は樺太などに数年抑留されて、苦しい生活を強いられた後に強制引揚げをされているというのが事実でございます。 その北方四島、島で生まれ育った旧島民の多くは既に他界されています。不法占拠から六十年たった今、生きていらっしゃる方々の平均年齢も七十二歳を超えています。
しかし、それ以外の島民の方々は樺太などに数年抑留されて、苦しい生活を強いられた後に強制引揚げをされているというのが事実でございます。 その北方四島、島で生まれ育った旧島民の多くは既に他界されています。不法占拠から六十年たった今、生きていらっしゃる方々の平均年齢も七十二歳を超えています。
これに対し陸軍大臣より返電があり、六月三十日に島民の強制引揚げを命ぜられたのでありまして即時疎開せよとのことでありました。発令当日の未明に乗船して二見港を出帆したのであります。また所持品は身のまわり品一人当り三個に限定され、一切のものを島に残して引揚げさせられたのであります。
また家屋は、強制引揚げ直後、軍において焼却あるいは破壊をしたということを聞いておりますので、内地の場合に建物の強制疎開をやつたと同じような補償が考えられるのではなかろうかというふうな気もいたしております。
○並木委員 それから、もちろんこれは強制引揚げだつたのでしょうね。それをお答え願いたいのと、それから当時軍の命令か日本の行政府の命令かどつちかわかりませんが、うちなんか全部焼き払つて引揚げろという命令が出ておつたとも聞いておるのですけれども、その点についてはいかがですか。
これは、あの強制引揚げというような、ちようど四国全体の住民を数箇月で出て行けといつたような措置がとられたのであります。その際に、強制的に紛失させられたというか、海外へ置いて帰らされた関係等もありまして、今度これらが税関に保管されている分は返つて参るでありましようが、なお相当のこれらの有価証券が、再発行しなければ権利がなくなるというような状態に放置されておるのであります。
小笠原諸島は、昭和十九年全住民の強制引揚げが行われる前は、約四千の農民が、一千町歩以上の耕地の上で、甘庶、冬期蔬菜、果実等を生産し、また農民とほとんど同数の漁民が、かつお、まぐろ、さんご等の漁獲に従事し、昭和十五年には五十万貫の水揚高を算したのでございます。
それはいかに困つておるかという点については具体的におわかりになれば非常にけつこうですが、問題はこの前お伺いした要点は、何か特別な立法措置でもとつて、特別の事情で着のみ声のままで強制引揚げをさせられたこれら不幸な人たちに、何らかの政府の援護措置が考えられないかという点が一つであります。これはもちろん厚生省その他との共管事項になると思いますが、立法手続についてもう一度つ込んで御研究を願いたい。
これらに対しましては、いずれ詳細に関係の長官あるいは課長から御説明申し上げますが、今回の引揚げにつきましては、前回の引揚げと異なりまして、いわゆる強制引揚げでなくして、中共地区から引揚げられるのでありますから、これらのいわゆる国内における受入れ態勢につきましては、できるだけあたたかく、万全の措置を講じたい。
厚生大臣に御質問申上げたい一つの点は、小笠原から強制引揚げを命ぜられた人の問題でありますが、これは去る六月の内閣委員会において南方連絡一事務局の機構の問題が問題になつた場一合に問題にとり上げられた点であります。即ち戦争中に小笠原島民が強制的に引揚を命ぜられた。そうして東京都に参つております、主として東京都に一参つております。終戦直後早く小笠原に帰りたいという熱望を持つておりました。
ほとんど全部四七年をもつて南方の引揚げは一応終了いたしまして、政府の発表等におきましても、戦争による強制引揚げというのはそれをもつて一応終了したと発表いたしたのであります。
従いましてドイツについても同じでございますが、日本につきましては、日本軍の占領地域ないしは日本の行政下の管轄の外に置かれました領域に在住しておりました邦人も、全部いわゆる強制引揚げということになつたわけでございまして、その一環として、千島における在留民も、本国へ帰らざるを得ないことになつたのでございます。